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哀しきサラリーマン、逆境に活路を追い求めて

長年転勤が叶わず、自分を最も活かせる仕事になかなかたどりつけないでいる方はいらっしゃいませんか。今の職場でくすぶりつつも、近い将来自分が飛躍できる時をじっと待ち続けている方とそのつらい気持ち、熱い思いを一緒に分かち合いたいと思います。

勤続3年目

昨夜、首都圏でもついに新型インフルエンザが発生した。今朝の電車の中では昨日よりマスクをしている人が多かった。明らかに自衛しようとしていることがわかる。都内の薬局ではマスクがすぐに完売になったそうである。このマスクについては、感染者が他人にうつさないようにするにはある程度効果があるが、自衛にはあまり効き目がないとする識者の声もある。さて、今日訪問した企業では今年が3年目となる私の教え子と久しぶりに再会できた。若者の離職が早い昨今、こうして頑張っている姿を見ると嬉しいものである。彼女曰く、1年目はとても辛く、同期入社の同僚が次々と辞めていったそうだが、彼女自身は歯を食い縛って頑張ったとのことだ。今はだいぶ慣れ、仕事も順調とのこと。昨日に続き、若者の成長を目の当たりにした。

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料理本を買って

東京ではマスクをかけている人は少ない。しかし、かけて自己防衛している人も散らほら見かけられる。今のところは個人の判断次第といったところだ。さて、今日から企業訪問が始まった。初日の今日は成田空港で貨物機の荷物を積み下ろししている生徒のところを訪ねたが、仕事にも慣れ元気そうであった。給料が安いとのことで、食事はほとんど自炊だそうだ。彼は高校生の頃は料理など自分で作ったことがなかったそうで、こちらに来てからは料理本を買って作り方を覚え、少しずつレパートリーを増やしていっているそうだ。自分でも就職してからはだいぶ成長したと話していた。若者の適応力には目を見張るものがある。

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30年ぶりのマスク

東京出張を明日に控え、今日万一に備えてマスクを買いに外へ出た。日本一人の往来の激しい東京で新型インフルエンザが発生するのは時間の問題だ。まずは割と大きな薬局へ行ってみたが、残っていたのはガーゼタイプの旧式のものばかり。次に入った薬局ではマスクは完売。あまりの市民の反応の早さに、ひょっとして一枚も購入できないのではという焦りが出てきた。ところで、薬局はだれもがマスクを求めて行きそうな所。ならばコンビニあたりはひょっとして穴場かもしれないと勝手に想像して行ってみたところ、予想的中。3枚セットで割としっかりしたものをゲットすることができた。その次に入ったコンビニにもまだ結構残っていたので、当地で発生した時のことを考えて少し多めに買い求めた。もし当地で新型ウイルスが確認されれば、間違いなく住民は神戸市民のようにマスクを買い求めて東奔西走することになるだろう。神戸の方々をお気の毒に思う。さて、私がマスクをかけるのは何と30年ぶりである。高校生の頃にかけたのが最後ではないかと思う。袋を破って中から1枚取り出してかけてみたが、少し息苦しい。これを一日中かけっぱなしとなると、想像しただけで息苦しくなる。かけないよりはかけたほうがいいだろうね。東京の人たちはどうしているのだろうか。

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出張に向けてはやる心

今週の後半は久々の東京出張である。3学年担任らと手分けして、生徒が受験しそうな企業を挨拶回りする。2泊3日の日程で一人5社。ただし私だけは千葉や埼玉の企業も回るため4社になっている。夜はゆったりできるので、おいしいものでも食べて都会の夜を満喫したい。今回は半分旅行気分である。久々の新幹線乗車、高層ビルの光景、大都会の雑踏など、考えただけでわくわくする。本を「買う」のが好きな私には、地方にはない大型書店に足を踏み入れるのも楽しみの一つである。そして東京へ行くと決まって入るのがスタバ。毎回そこでコーヒー豆を3袋ほど買って帰る。当地にスタバがない哀しさ。東京にはJRや地下鉄の駅の周辺に必ずと言っていいほどあるのに。いつもながら感じる都会と地方との文化の差である。電車の本数の多さ、行き届いた駅の電光表示など、羨ましい限りだ。地方では決してお目にかかれない光景が駅の中でエスカレータに立つ人たち。全員がびっしり左側に寄って立ち、その脇を急ぐ人たちが駆け上がっていく。さて今回はどんな発見があることだろうか。

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男の美学2

定年退職してから第二の人生ということで再就職する人がいるが、ここでも「男の美学」について考えるべきことがある。この場合、どれだけの期待を持って再就職を希望するのだろうか。もしも定年後の「毎日が日曜日」の生活を嫌い、多少の小遣い稼ぎという程度であれば美学とは無縁である。高校の校長を最後に定年退職し、その経歴を学生の獲得に活かしてほしいと外部から理事長や大学教授のポストをあてがわれた「天下り」の連中も然りだ。定年まで勤め上げたことには男の美学がある。しかし、その後このようなかたちで再就職することには男の美学などみじんも感じられない。定年退職というのはひとまずは「男としてのゴール」である。このゴールを切ったあと、さらに再スタートを切ってもそこには過去の栄光は全くなく、はた目から見ると虚しさすら感じる。ただ、定年を迎えても自ら起業したりして「男の荒波」に戻る人は別である。そこには計り知れない未知なる世界が待ち受けているので、苦労もまた現役の時ほどあろう。ここで最も「男の美学」を感じるのは定年前に「依願退職」し、そのあと起業や転職をして「男の荒波」に再び乗り出す人。そこには「人生のゴール」(60歳定年)を切る前の究極の欲望と覚悟があり、荒波に乗り出す勇ましさが沸々と感じられる。実はこの私も、この「男の美学」を追い求めている一人である。今年53歳。3年後の依願退職を目指してすでに船出の準備を始めた。

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男の美学1

定年退職後の「男の美学」とは何だろうか。高校で進路指導室に籍を置いていると、この時期大学や専門学校から来年度の募集で担当者が多数来校する。その時たまに元校長という人が来て、知っていても知らん顔をしていると、自らそれを明かして帰りがけに校長室へ挨拶に立ち寄ろうとする。私が最も嫌いな光景である。県立高校の校長というと当地では県庁の課長級にあたり、定期人事異動を詳報する地元の新聞には顔写真入りで紹介される。そうした校長連中もやがて定年を迎えるが、教育界から身を引いたあとの身の振り方に「男としての美学」が全く感じられない。今度は立場を変えて校長在任中生徒を送り出したところへ籍を置き、逆に自分がもといた教育現場に「元校長」として上がり込み現場の校長に圧力をかける。こうしたことは校長まで登り詰め、亡くなると国から叙勲までされる人の第二の人生の送り方だろうか。同じ教育界に残るなら、高校生に勉強を教えたり人生の大先輩として悩みごとの相談にあたるなど、もう少し奉仕の精神を持てないものだろうか。自分の町内会の役員もいいではないか。あるいは地元でボランティアをしたり、望むなら海外でボランティアを行う国際協力機構(JICA)の海外シニアボランティアという制度もある。どうしても収入を得たいということなら、現職の頃思い描いた定年後の夢を実現すべく、一念発起して起業するかしてそれまでとは違う畑で頑張ることで、定年後の過ごし方について共感を呼ぶ人生を期待したい。とにかく、定年後「天下り」のような生活を自ら選択して古巣に顔を出すといった見っともない身の振り方だけは御遠慮願いたい。

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運命をつくる

「運命」という言葉を辞書で引くと、「人や世の中の成り行きを支配する超自然的な力」とあり、類語として「宿命、命運、さだめ」が載っている。「抗しがたい運命」という使い方からも、運命というのは我々が神様から与えられた「変えようと思ってもそう簡単には変えられないさだめ」ということになるのであろうか。ならば、「運命をつくる」というのは絶対不可能なことのように思われるが、私はその人の考え方やそれに伴う行動によっては可能であると考える。若い人たちの転職や起業も自分の運命をつくる過程にある。運命を自分でつくらなければ、その人の人生は成り行き任せということになり、我々50代にはそういう人が多い。それは無理して運命をつくろうとしなくても、運よくレールに乗れた人はそのまま将来が保証されるから。しかし、私のように途中海外留学をして一度依願退職をしている者は勤務年数が同期の人より短くなるので、昇進に大きく影響する。50を過ぎると、定年退職までの役職と過ごし方がやたらと気になる。中間管理職になってますます責任が重くなり、そこで無理をして成果を出そうとするが、たとえ顕著な成果が表れたとしても昇進には何ら影響しない。そのうち自分が使い捨てされていることに気づき、残された定年までの人生をこのままでは終わらせたくないとして、自ら自分の運命をつくろうとするのである。私は運命を「つくる」という表現をした。「運命を変える」は実は「運命が変わる」。「運命を変えるできごと」のように、何かがきっかけでその後の人生に変化がもたらされる。変えようと思ったら、自ら運命を「つくる」しかない。

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最高の自分になる方法

先日偶然コンビニで、「最高の自分になる方法」という本を見つけ購入した。ディスカヴァー・トゥエンティワン社発刊で、アメリカの講演家マイケル・アンジャーの書いた「Best Ways to Be Your Best」の翻訳本である。私個人としては、外国人の書いた自己啓発書を買うことはめったにない。それは自己啓発というのは、会社や仕事といった「企業文化」に関したことが多く、そうしたアメリカ的な考え方が日本国内の状況に必ずしも反映されないのではないかという懸念があるからだ。ところが、今回この本の目次をめくると次のような項目が目に飛び込んできた。「思いきってリスクをとる」「やると決めたことは必ずやり遂げる」「本当に好きな仕事をする」「不屈の精神を持つ」「挫折しても努力を続ける」「逆境に負けない」「逆境の中に恩恵を見つける」「失敗から学ぶ」等々。日本人が著す本の項目としてもよくありがちな小見出しである。特に、その中にある「逆境」という言葉は私のブログのタイトルの一部にもなっているだけに期待が高まった。中をぺらぺらめくると、各項目が見開き2ページの構成になっていて、就寝前たとえ眠くても一つの項目ならほんの1~2分で読めることから思い切って買い求めることにした。

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進路指導主事>英語教師=事務屋3

進路指導主事の仕事は言うなれば事務屋そのもの。特に4月は県教委やハローワークへ提出する書類の作成に忙殺される。それが終わると、今度は校内の進路関連行事の企画やそれに伴う文書作成等の仕事が続き、その間に県教委や高教研が主催する研究協議会への出席、県外企業が多数集まる就職説明会への参加、校内においては学校評議員会や中高連絡協議会等への出席、さらには教員が手分けして2泊3日の日程で関東地方の企業へ挨拶回りをするなど、校内では事務的な仕事が引っ切り無しに続き、また会議等への出席や出張も回を重ねる。理不尽なのは、その間に予定されている授業がなくなるのではなく出張の前後に振り替えられるため、一日の中で授業のない時間がますます少なくなるということである。『仕事がたくさんあり授業どころではないのに、出張や会議等への出席で「仕事」ができる時間がますます減らされる。』本来、我々高等学校教員の本務は「生徒に自分の専門とする教科を教え、その前に十分教材研究をする」というものであるが、50歳を過ぎいわゆる中間管理職という地位に『小規模校で』就くとこのように本末転倒の状況が発生し、教師になりたての頃抱いた教師像が大きく崩れることになる。自分は20代後半にアメリカの大学院へ2年間留学して英語教授法で修士の学位を取得し、以後『生涯英語教師』を目指してきただけに、この高校へ赴任してからは授業をするたびに虚しさを感じている。

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進路指導主事>英語教師=事務屋2

進路指導主事というのはどこの高校にもある進路指導室の主。通常であればこの部屋に少なくとも4人の専任の教員が机を並べて仕事をしているのだが、本校は全校生徒が200人余りの小規模校ゆえ教員の数が少なく、進路指導室には私ともう一人30代前半の臨時講師の2人しかいない。しかも彼は今年進路指導室に配属されたばかりで、進路指導の仕事については雑用的なことをこなせる程度である。進路指導部は進学や就職といった高校卒業後の生徒の進路を扱うだけに学校では極めて重要な部署であり、学校規模・生徒数に関わらず、扱う事務量は大規模校とほとんど変わらない。それをある学校では6~7人という潤沢な人数で行っているのに対し、本校では私ともう一人の1.5人でやっているのであるから当然主任としての私の仕事量は膨大なものになる。

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