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哀しきサラリーマン、逆境に活路を追い求めて

長年転勤が叶わず、自分を最も活かせる仕事になかなかたどりつけないでいる方はいらっしゃいませんか。今の職場でくすぶりつつも、近い将来自分が飛躍できる時をじっと待ち続けている方とそのつらい気持ち、熱い思いを一緒に分かち合いたいと思います。

土曜日の過ごし方

明日から6月。50歳を過ぎてからというもの、ひと月が経つのがやたら早く感じられる。ひと月だけではない。一週間もそして一日でさえ、気がついてみるともう勤務終了の時間ということがよくある。さらに、平日よりも土日のほうがあっという間に一日が過ぎる。週末もある程度予定を立てておかないと、この2日間はほとんど何もせずに終わってしまうことがある。小生、日曜日は決まった過ごし方というのがまだ確立していないが、土曜日は早朝散歩を欠かさず行い、午前10時には近くのフィットネスクラブに出かけ、夕方はコインランドリーへ洗濯をしに行く。途中のコンビニで夕食と新聞を買い、洗濯機を回している間に新聞を読みながら買ったものを食べる。この時間がたまらず、自分にとってはまさに至福の時である。
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続1Q84

村上春樹の長編話題作「1Q84」についてはマスコミ各社も取り上げていて、いかに反響が大きいかがわかる。「1Q84」が全国の書店に並んだ29日に出版元の新潮社は3度目の増刷を決め、部数は累計で68万部に上った。早期のミリオンセラー達成は確実と見られ、発売日に4刷68万部という数字について新潮社は「同社史上空前の記録で、社会現象になるかもしれない」と話している。また、アマゾンでは発売前に予約が2巻合わせて1万部を突破。長編の日本文学では過去最高という。「1Q84」は村上春樹の7年ぶりの長編で、1984年の日本を舞台にカルト教団の謎を描いているが、新潮社は発売前に内容を一切公表しなかった。

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1Q84

今朝の朝刊に村上春樹の話題作「1Q84」の広告が載っていた。しかしこの本についてはあまり多くを語らない。出版元の新潮社のホームページを見てみた。こちらも本の紹介は至ってシンプルだ。題名の「1Q84」の下にはわざわざ〈ichi-kew-hachi-yon〉と読み方が記してある。読書など無縁といってもいい小生であるが、この本のことがやけに気になってしようがなかった。仕事を早めに切り上げ、帰途まっすぐ本屋へ向かった。店先に積まれたBOOK1・BOOK2の2巻からなる本のうち、黄色の帯がかけてあるBOOK1を手に取り読み始めた。

 タクシーのラジオは、FM放送のクラシック音楽番組を流していた。曲はヤナーチェックの『シンフォニエッタ』。渋滞に巻き込まれたタクシーの中で聴くのにうってつけの音楽とは言えないはずだ。運転手もとくに熱心にその音楽に耳を澄ませているようには見えなかった。中年の運転手は、まるで舳先に立って不吉な潮目を読む老練な漁師のように、前方に途切れなく並んだ車の列を、ただ口を閉ざして見つめていた。青豆は後部席のシートに深くもたれ、軽く目をつむって音楽を聴いていた。

ここまで一気に読んだらこの小生も村上文学の世界にすうっと入り込み、格調高い彼の文学に引き込まれてしまった。店を出た時には、カバーをかけた2冊の本が袋の中にあった。

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小規模校での勤務2

教師になりたての頃、「教師の本務はまずは自分が専門とする教科をしっかり教えること」と教わった。つまり「授業」をきちんと行うこと。そのために我々は空き時間を利用して、授業の準備や教材の作成を行う。私は授業というのは役者が観客を前にして行う「舞台」のようなものと考える。彼らは舞台に立つ前、かなりの時間を割いて稽古を行う。我々教師もこれと同じで、教壇に立つ前に「教材研究」や「教材作成」等に余念がない。そのため勤務時間のうち、授業時間を除いて、残った時間の半分以上をこの「授業の準備」に費やすのが普通である。そして余った時間をうまく活用して、教科指導以外にすべき「学年・クラスに関する仕事」や私のように「進路指導に関する仕事」を行う。この両者のバランスは人によって違うかと思うが、大方「教材研究・教材作成7」に対して「それ以外の仕事3」といったところではないかと思う。要するに、本業である授業の準備に費やす時間のほうが圧倒的に多いのだ。ところが、50歳を過ぎて中間管理職と言われる「主任職」に就くとこのバランスが逆転し、今度は授業の準備「以外」の仕事が圧倒的に多くなる。そうなると授業の準備はその仕事の合間を縫って片手間に行うことになり、準備に十分時間が取れずそのため授業にも身が入らないという最悪の状態になる。

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小規模校での勤務1

小規模校に勤務して今年で5年目になる。全校生徒200名余りの小さな高校だ。よく小規模校と聞くと、「小さい学校だから、仕事が楽そう」などと、小規模校の現状を知らない人から言われることがあるが、実際は正反対で、すべき仕事がまるで離陸を待って滑走路上に待機している羽田空港の飛行機の如くある。何せ学年主任が他の学校では見られない学級担任を兼ねている。担任も自分のクラスを持ちながら、他の学校ではほとんどない他の分掌の仕事も抱えている。私について言うと、進路指導主事(進路指導部長)をしていて学年には所属していないが、進路指導部の教員が他の学校であれば少なくとも4~5人はいるところを、本校では私ともう1人今年新たに加わった進路の仕事を全く経験したことのない臨時講師との2人で細々とやっている。要するに、小規模校の教員は他の学校の教員の倍以上の仕事をこなしている。あまりの多忙に、授業を自習にしてまで職員室で仕事をしなければならないこともしばしばある。

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反面教師

英語教師としてきちんと将来を見据えたビジョンがあり、任せてくれれば必ずや期待に応えられる自信もあるのに、今年の定期人事異動では校長の力量不足により適材適所の人事が行われず、結局転勤が叶わなかった。その後しばらくは前校長を目の敵にしてきたが、最近では考え方を180度転換。校長からの「貴重なメッセージ」と自分勝手に解釈するようにしている。そのメッセージとは「自分の身については自分でしっかり考え、そして自分で守ること。管理職は決してそこまで考えてはくれないし、守ってもくれない。」昔と違い、自己責任しか頭になく人情味に欠ける管理職が多い最近(これも「団塊の世代」の特徴か)、馬車馬のように一生懸命働いたとしても、それをしっかり評価できる校長にめぐり会わない限りずっと同じ職場にとどまることになり、気がついた時には精根疲れ果て定年前の最後の貴重な5年間を「夢も希望もなく」ただ仕事にだけ捧げて終えることになる。こうした「不本意」な状態で定年を迎えないようにするためにも、自分のこれからのことは決して人任せにせず自分でしっかり考え、常に自分の身は自分で守るよう心がけ、その中で自分を最大限活かせるよう『自己啓発』していく必要がある。

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非日常から日常へ

関東企業訪問から戻った私を待ち受けていたのは、この間に行われた採点すべき定期考査の答案用紙。定期考査期間中は午後が空くため、通常は教師はこの時間帯を使って答案の採点に当たる。ところが我々訪問教員はこの間は一切採点ができず、出張から戻ってきたあとの週末をそれに当てることになる。個人にとって貴重な休日であるにもかかわらず、土日に出勤してせっせと採点作業に勤しむ。何度も書くが、念願の転勤が叶わなかっ今年は、それまで期待に期待を込めてパンパンに膨らませた転勤への期待が昨年、今年と二度にわたり一気にしぼんでしまったことで、もはや再び膨らますための夢も気力も完全に失せてしまった。平日でさえ定時退勤を心がけているのに、土日の出勤となると精神的にも肉体的にも体に堪える。あと3年を切った「『定年まであと5年』の準備期間」は、待ったなしに刻々と時間を刻んでいる。残り5年間の花道を自分で思うように企画して、悔いのない最高の花道を飾りたい。

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思い込みが強い

中央大の高窪統教授が刺殺され、かつての教え子が殺人容疑で逮捕された事件で、産経新聞には容疑者のことをよく知る同大学の卒業生の話として「思い込みが激しい」との報道がされている。犯罪心理学が専門の専修大の森武夫名誉教授は、容疑者が卒業後「孤独」と「挫折」の二重の悩みを抱え、「(職を転々とする)不遇な状況を自分で作りながら、その原因を強引に殺害された教授になすりつけた可能性もある」との見方を示す。実はこの私も思い込みが強い傾向にあり、受験したあと結果が届く前に「不合格」と思い込み、ふたを開けてみたら実は「合格」だったということがこれまでに数回あった。さらに、この3月の定期人事異動の際も、ずいぶん前から「今年は間違いなく転勤」と思い込むものの結局思いどおりにならず、その後かなりのショックを受けた。人が何かを思い込むにはそれなりの根拠があり、そこにはその人特有の思い込みがある。ただ、容疑者のように人を逆恨みするのはよくない。自分には全く非がなかったのだろうか。自分の人生を「狂わせつつある」のは本当に教授なのか。それとも「自分で」狂わせてしまったのではないか。このブログを最初からお読みの方はご存じだが、私はずっと願い続けてきた転勤が今春も叶わず、定年退職後そそくさと郷里の北海道に戻った前校長をずっと憎んでいたが、その後こうしてブログを始めるとともに、仕事もこれまでのように頑張り過ぎないように決めたことから、悔しさからは徐々に遠のきつつある。残念ながら定時に退勤することは難しいが、昨年と比べると帰りは早く、その分帰宅後家で自由な時間を持てるようになった。殺人まで犯した容疑者は教授に対して相当な恨みを持ち犯行に及んだと思われるが、本来であればその原因とも考えられる自らの性格や行動について自省することで、「自らの逆境に活路を求めて」ほしかった。人を殺したらもう何もかもおしまいである。

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思い込み | コメント:0 | トラックバック:0 |

すてきな親子の思い出

妻が地元の新聞に投稿した手記が先日記事となった。心温まるとても良い内容なので、皆さんにも是非ご一読いただきたい。

 「すてきな親子の思い出」

 今から十数年前、ある病院の待合室でとてもすてきな親子に出会った。朗らかなお母さんと小学生くらいの女の子。本当に仲が良さそうにおしゃべりしていた。ただ女の子は一目見てダウン症だとわかった。
 私は診察を終えた後、パッチワークを教えてもらっている自宅近くの喫茶店に行った。すると偶然、病院で出会った親子が入ってきた。少しずつ会話するうちに、女の子のお母さんが忘れられない話をしてくれた。
 お母さんはこの子が生まれた時、死にたいと思ったという。でも出産に立ち会った産婦人科の先生の言葉が立ち直らせた。
 それはこんな言葉だった。「あなたはきっと、ショックを受けて心が病んでいるでしょう。本当はこういう子は流産して生まれないことのほうが多いのだよ。でも、この子は生まれてきた。この子には生命力があったのだよ。だから大切に育てなさい。」この言葉を聞いて、お母さんは生まれてきた子に感謝したという。
 小学生だと思っていたその女の子は二十歳だという。そして自分で作ったパッチワークのポーチを見せてくれた。とてもきれいに丁寧に縫ったかわいいポーチだった。
 心に光をくれたすてきな親子の幸せを願うとともに、素晴らしい医者がいるのだという思いが心に残った。


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心温まる話 | コメント:0 | トラックバック:0 |

ハンセン病資料館

企業訪問が午前中で終わり午後自由時間ができたので、前から来ようと思っていた国立ハンセン病資料館を訪ねた。実は、土日の散歩コースになっているところにハンセン病の人たちの保養施設がある。彼等に対する関心はこの施設の中をぬって歩くうちに自然と身についたものだ。今回館内の展示を見て、らい予防法が廃止される以前、彼等がいかに人間としての扱いを受けなかったかが気の毒なほどわかった。どこの世界に一度隔離されるとその後二度と社会の土を踏むことができず家族との絆を断たれ、死後家族と同じ墓にさえ入れないということがあろうか。しかも、子孫繁栄を禁ずるために男性に断種を施していたというのだから、当時の国の施策がいかにひどかったかがわかる。

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